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2001/8/31  8/30 超低燃費

 昨夜 何気なくTVを見ていると  トヨタ自動車が今度の東京モーターショーで 定速走行時リッター50kmも走る 超低燃費車を出展するとのニュースをやっていました。

 おそらくあくまでもショーモデルなんでしょうが スペックも画像も明らかになっていないようで どのくらいの大きさなのかすら解りません。
 しかしどんな形をしているにせよ (たぶん)複数の人間が搭乗でき (多分)ちゃんと雨風がしのげて (多分)普通の交通情勢に対応できる走行性能をもった (おそらく)4輪の自動車が1リッターの燃料で50kmも走る事が出来るとは・・・・ トヨタの技術は凄いとしか言い様がありません。


 津軽屋が勝手に想像するには 非常にコンパクトで軽い車体に 1000ccぐらいの全領域リーン!!燃焼のエンジンを積んでいるのではないでしょうか。  実際には空力を極限まで追求して前面投面積を低くした かなり 細くスリムな車体になっているのでは?
 全体的にはホンダのインサイトをイメージしますが トヨタなら意地でもホンダと同じようなスタイリングにはしないでしょうね。
もし四人乗りで 出してきたら全世界は拍手を送る必要がありますよ ほんとに。

 しかしホントーーーーに 1リッターで50kmも走れるのでしょうか?
この前のイギリスでのVWのディーゼルポロが リッター/40km以上
の記録を出していますから オーバルのテストコースを坦々と定速走行すれば結構良い記録が出るのかも知れないですが・・・・

 津軽屋は 全人生を通じ ノーティーダックス、CB50なんかまで含んでも そんなに燃費の良い物を動かした事は無いです。

 まさかディーゼル車での記録ではないでしょうが ガソリンだとすれば新しい燃料マネージメントの方法とか 稀少域での新しい点火技術とかが導入されたのでしょう。  もちろん 高圧の燃料直墳でポンピングロスの無い 低フリクションの画期的なエンジンを期待しところです。
おそらくは バルブタイミングとリフト量などを無段階で調整できるシステムも採用されてるんじゃないかなあ?

でもそこまでやると フェラーリのエンジンよりも高価になったりして(^^;)ゞ



写真はまだ無い




追記

PM9:00記


 その後の話で この情報元は 東京新聞の経済面に掲載されていたとの事が解りました。  
 内容的には  1400のアルミフレーム+ディーゼルエンジンらしく 朝の話の通り ガソリンで50km走るのならたいしたものと思っていたのに  なーんだ残念でした。

でも現在 例の石原都知事の発言以来何かと肩身の狭い ディーゼル車には良いニュースではないでしょうか。
となれば トヨタなら 抜かり無く排ガスに関しても何か手を打って来るはずで フィルターや触媒などの トランクスに逃げたくは無いところです。 
 低温燃焼なら以外に窒素酸化物は少ないのではないでしょうか。
いかがでしょうか。
 

2001/8/25  ディーゼル車
 



 津軽屋はディーゼル好きといえるでしょう。
その理由は 子供のころ体験した2つの事が要因です。

一つは 父親の職場にあったどでかい外洋船舶用のエンジン。 
もう一つは サンダーバードの高速エレベーターカーのアイドリング音です。


 外国航路の昭和40年代は コンテナ船導入前であり 北米航路でもバラ詰み船が主力として運用されていました。
排水量1万トン級の貨物船が多く、 常識的に大型のディーセルエンジンの4機掛けなどの設定でした。  国内移動中にこっそりと(さすがに子供にはエンジンルームは危険すぎるので) 運用室のガラス越しに見せてもらったエンジンは バルブ類が妖しく波打つ用に動き、軽油の臭いと エンジンオイルでどことなくしっとりとした機械の肌の感触は いまでも津軽屋の原体験として記憶にあります。
 スイス製?のスルザーエンジンが世界最高のマリンディーゼルだと・・・

 サンダーバードはもうおなじみですね。
 着陸装置に爆弾をしかけられた 東京行きの原子力超音速旅客機ファイヤーフラッシュ号の危機を救うため サンダーバード2号のコンテナから出てきたマシンは 大型のバルン?タイヤを履き、背中に荷台を背負った特殊な救助メカ車でした。 この車のエンジン音は明らかに高速ノンターボの多気筒ディーゼルだったのです。
 国際救助隊からは具体的なスペックについては 何一つ公開されていないので すべては推定しなければなりません。

 ファイヤーフラッシュ号はいくら カナード機とはいえ高速巡航向きの機体で 離着陸速度はかなり早そうです。
 その機体の下にエレベーターカーを走らせて 荷台で機体を受け止めてやろうとの作戦です。(車輪を出すとしかけられた爆弾が破裂して原子炉ごと乗客も吹っ飛ぶ とのひどい設定) 
 原子力旅客機ファイアーフラッシュ号の推定の着陸速度は200ノット以上でしょう。 従ってエレベーターカーもすくなくとも最高時速400kmは必要と見られます。 しかも滑走路エンドから着陸してくるファイヤーフラッシュ号にタイミングを合わせて猛加速しなければなりません。 さらに何百トンもある機体を支える為 エレベーターカーそのものも がっちりした構造で 自重30t以上は軽くありそうです。
 そんな車体を高速度域にまで引っ張り上げるには 100000馬力ぐらいは絶対必要です すざまじいパワーです。
その力の象徴としてディーゼルエンジン音がかぶせらたのでしょう。




 今まさに ランディング寸前




 で、成人してから乗った ディーゼル車は メルセデス300Dと 430グロリアと現在のゴルフCLDです。
 最初300Dの始動音を聞いたときはマイクロバスかと思いました。
 430グロリアはL28をまんまディーゼルにしたものですが 6気筒でもあり以外にスムーズでした。 
 ただしフル加速すると エンジンが壊れたと思えるぐらい黒煙を吹くので あまりアクセルは踏めませんでした。 それに比べると 現在のゴルフは4気筒ですが遙かに静かでクリーンです



 本日の画像提供は すばらしいジャック氏のペネロープ号のサイト 「FAB1」さんより。 
  ご興味のあるかたはこちらからどうぞ。 
 ペネロープ号は 時速320kmも出るらしい。 エンジン出力は例によって必要にして充分としか発表されていない。(ウソ)

2001/8/16  ほんとは8/12の午後  松田コレクション


「ん?」
                      

 箱根山頂を走る津軽屋になにか北の方から念波が送られてくる事に気が付いたのは芦ノ湖ポイントのあたり だったでしょうか。
早く来ないとみのがすよー と聞こえた様な気もして 声の導くまま御殿場方向に下山。 林の中を進むとそこには松田コレクションがありました。 ここがそうかー。 フェラーリミュージアムとしても有名ですが津軽屋はまだ見た事がなく 今秋のLCJの会合の帰りに見るつもりだったのです。
 何かせかされるように館内に入りました。  
 一度屋外に出て 別棟の展示棟に向かうと 私を呼んでいた声の主が現れました。   うわーーーこいつだったのか。

 
テスタロッサ・・・・ 

こいつは本物だ・・・・

凄い。 凄すぎ。 
 
なぜかキャリアカーに載せられ どこかへ運ばれ様としています。 エンコしたのか?。 まさか・・・


タッチの差で貴重な車をあやうく見逃すところでした。

                 

    抑揚の効いたフォルム。 イタリアの血の色。フェラーリの精神の象徴・・・。
 書籍でしか見たことがなかったのですが 本物はちっともオーバーデコレイトではありません。 まさに世界に君臨した当時世界一の自動車です。  もう一度言いますが これが世界一の車であったのは間違いありません。


 
 
 ドナドナ?されていくテスタ。 なんか扱いが軽いんですが・・・(^^;)ゞ  常時接している方はこんなものかも。 
このキャリアカーでもいいから 運転させてクレーと思った私は相当なおバカですな。




 その後 場内はため息のでるような車両ばかり。 ヒストリックな車体はちゃんと戦歴のあるものです。 

 現代の車だって 白のワンミラーテスタは かって日本上陸一号車としてCG誌のグラビアを飾ったその車そのものでしょう。個人的に欲しいフェラーリはこれですねこれ。   
 F40 F50があったってもう驚きません。たぶんF60の日本1号車もここに来るでしょう。 もっとも F60を買うには F50を持っている事が条件だそうですが。(~~;)ゞ

その後 ヘリが飛び立ったりして もう何が何やら解りません。

 さあ ぼつぼつ四国へ帰る時間が来たようです。 あちこちと飛び回った今回の関東遠征でした。 お世話になった皆様には感謝して遠征記を終える事にします。  また行ってみたいですね。



 

2001/8/15  ほんとは8/12 箱根駅伝
 昨日はパシフィコに行った後 本来の用件を午後からこなしました。 といっても 午後遅くにはあっさり失礼したので まあなんと義理堅い人と思われたか わざわざ四国から出てきたのにもう帰るのかと あきれられたりしたでしょうが まさか車や野球を見に来たついでに寄りましたとも言えず 曖昧な笑いを残してさっさと失礼してしまいました(関係者がこの日記を見ていない事を祈る)。
 
 で本日は早朝からスケジュールが詰まっています。
06:00起床でベイブリッジを渡り まずは日本の自動車サブカルチャーを引っ張る大黒パーキングへ。 いつも休日の夜は「大黒満車」なのだそうですが 行った時間が悪かったようですね。 いかに大黒でもお盆の早朝ではバニングも重低音も1台もおらずスカスカ。 思ったほど大きいスペースでもなく ここが満車になればさぞかし騒がしいであろう事は想像出来て 一応記念写真もぱちり。 

 
 早朝の大黒PA ドンドコのドの字も聞こえず

 


 やむなく 帰りにその筋では有名なループでフルスロットルを試す。 面白いのですが 途中合流なんかもあって結構気が抜けません ここを355なんかで回ると良いんだそうです 天国に行っちゃう音だそうです。

 その後湾岸の最高速チャレンジポイントの路面状況を確認したあとは
レインボーブリッジをちらりと見て銀座方面へ。
何回走っても首都高は解りづらいです。 自分の行きたい方向と進む方向が一致しない。 ならば案内板がしっかりしておいて欲しいのだが これもある程度地理を理解していないと判断に迷いますね。  渋滞しながらゆっくり進む事を念頭に入れての案内じゃないだろうかと思うほど。 都会の生活は楽ではアリませんね。
 さてそんなこんなで 本日2つ目の目的地 国道1号線のスタート地点へ。  日本橋の橋のたもとの道標を見る。 ハハア ここがゼロ地点ですね。 あきれ顔の休日出勤サラリーマンの視線を浴びて 次の目的地を目指す。
 ところがここで問題発生。 昨夜携帯を水没させるトラブルのため たよりにしていた東京在住の友人と連絡が取れず これからの道が解らない。 住所をきちんと覚えていなかったのが運の尽き、 電話番号問い合わせても 同じ名前が20人近くいるとは さすが花の都東京ですな。 まさかお休みの朝からおたずねの電話を掛け回る気力もなく、といって向こうからの通話も通じる訳がなく どうしようかと思っていると救う神あり。  2人組の若き警察官。 津軽屋の突拍子もない質問

「箱根駅伝のスタート地点はどこなぁ?」

にも的確かつ明確な地理を教授頂き感謝。 珍しく親切な警官で 首都の守りは君たちにまかして大丈夫だろう。
 で駅伝スタート地点はそこから車で3分 すぐ近くにありました。 神田のオフィースビル街の一角でした。
 
 そうです 駅伝ファンの津軽屋は お正月の箱根駅伝のルートを走って箱根に行こうと思い立ったのです。

 今度は読売新聞の守衛さんのいぶかしげな視線を浴びながらスタート地点の風景をぱちり。 早速スタートしました。
大学生の皆さんには申し訳ありあせんが こちらは車です。
日比谷公園を過ぎ東京タワーをすぎて 田町からJR沿いに第2京浜を南下します。 もう何回もTV見ているのでこのあたりは迷うこともありません。 本番でもまだ第一走者が一団となって走っている所ですね。 第二京浜はお盆のせいか全く渋滞もなく大森中継所へ。 
 さらに京浜急行沿いに進むと新六郷橋です。TVで見るとかなりの坂ですが車で走るとごく普通の陸橋ですね。 ほんとうに選手の皆様すいません。
 その後鶴見を過ぎたあたりで渋滞に入ってしまい 一度ルートをはずれ保土ヶ谷方面へ。 ところがラジオは湘南方面に向かう一般道も大渋滞だと告げており、一号に戻るのは断念して 大磯から有料で小田原へ。
 ここからは再び国道一号の本来の駅伝ルート。 小田原旧市内から急に道幅が狭くなり、箱根の山登りです。 
 いやスゴイ登り坂。 これを走って登るとは5区のランナーは凄いと実感。 さらにはこんな道をTV中継する技術にも感服。 ちょっと前が詰まったらおしまいですよ。 まともにすれ違いが出来ない部分もあってこれは大変な段取りが必要ですね。
 その後 富士屋ホテル、塔之沢、宮野下と これまたTVで見たポイントも無事通過。 しかしまだまだ登り坂は続き、ほんとにランナーの皆様お疲れ様です。  小湧園は思ったより大きいホテルなんですね。 ほほう ここが箱根登山鉄道の踏切ね。 
そのあと一昨年 法政の飛松が炎の追い上げを見せた杉並木を通って
芦ノ湖温泉街へ。
 車で走ったのではインチキですが 一応自分もゴールしました。

 
 
 ゴール地点にはちゃんと石柱が立っていて 解り安い。

 
 

その後有料に出て CGでおなじみのいつものコーナーや 山羊さんコーナーの店で蕎麦食ったりして箱根を満喫です。
関東地区の皆様には 箱根は気軽な遊び場的な存在なんですね。 車系の雑誌の撮影や試乗会もよくここで行われているよう 有名雑誌に載っていた風景があちこちに見受けられました。
山頂も 結構な人出でにぎわっていました。
 

2001/8/14  ほんとは8/12  ムゼオ アルファ
 さて今日は ムゼオ アルファを見にパシフィコ 横浜へ行きます。
本国イタリアから 本物の歴史的な車両がやってくるからです。 おそらく今回を見逃すとまずは2度と見られない車たちですから 今回の関東遠征の中心行事といえるでしょう。

 知人宅に車を預けJRで桜木町へ。 電車の窓から見える小雨の煙る朝のベイエリアの遙か彼方に帆掛け船の形のホテルが・・・・
あの下にパシフィコ横浜はあるはずなのです。  しかし遠いですなあー。あんなに向こうにあるのかいな。
 すでに前日 フィスコを歩き回って疲労気味の 津軽屋には2kmの道のりが遠く感じます。 これなら直接現地に車で乗り付けたほうが良かったかなと後悔。 しかし 今更引き返せないので ランドマークタワー方向へすたこら歩く。
 すると 良い物発見! いやー助かります動く歩道。 好きです動く歩道。 
 大阪万博 、筑波科学薄、 成田 パシフィコ と生まれて4回目です。  
(この後 曲がるエスカレーターも発見して 用もなく ぐるっと回ってみたのは私だけではないのでは?)

 開場を待ちかねる用に入場したムゼオは歴史的な名車ばかり。 レーシングアルファが特に良いですね。 159なんかまさにアルファの誇りのような名車で昭和26年に 直8の2段過給で450馬力だとか。 ここいらがヨーロッパの歴史の厚さと言いますか伝統の積み重ねといいますか 自動車レースに対する意識の問題、自動車産業の立場の違いを感じる所ですね。
 展示方法もよく考えており 全ての車が360度から見ることが出来ます。 周囲には本物の図面、クレイモデル、エンジンの木製モックアップ、パーツサンプルなども持ち込まれています。
 このあたりは主催者のセンスが問われるところで 会場のロケーションも良くないと駄目だし、純粋に技術展示になってはだめだし・・
今回はセンス良いバールも会場を見渡せる中に設置されていました。
 
 エンジンも色々と出展されています おなじみツインスパークのご先祖の直4からから始まって V6 V12 V16!! やりますなあ。

見に来て良かった ムゼオ アルファでした。




当日の様子は
こちら
をご覧下さい。
 

2001/8/13  ほんとは8/11の夜 横浜スタジアム2
 その後 横浜は中盤谷繁の3ランや佐伯のタイムリーなどで少しずつ点差を詰めていきます。  中継ぎ投手も広島打線を何とか押さえ反撃のチャンスを待つわけです。  しかし昔甲子園に良く行っていたころに比べると明らかに審判は低めの球をストライクに取りますね。 それに対応する形で 打者のほうも低い打撃姿勢が目に付きます。 打者のスイングアーク全体が低いとでもいいましょうか。
 しかし 球の速い投手も多くなりました。1980年ごろ140台が出るのは数えるぐらいでしたよ。 村田、遠藤、小松、江川・・・   今では140は出ないと先発陣には加われないですね。 明らかにプロ野球の技術と能力は進歩していると思うのです。



 津軽屋が2回目にプロ野球を見たのは 地元であったオープン戦 中日-近鉄戦でした。  その時は 実力の矢沢、人気の太田とかの話で津軽屋が通っていた小学校の帰りに 外野フェンスの隙間から覗き見したはずです。  当時の高○中央球場は ホントに町のど真ん中(市役所の正面と言った方が正解か。)にあって両翼89m 外野席は無く観客は5000人も入れば満員といった状況でした。
 しかも内野スタンドの下は消防署になっていて 観覧席のぼろい感覚は現在の阪神キャンプが行われている 安芸市営球場と同じでした。




 さて試合は 相互にヒットが出て乱打戦の様相。 見ていて面白い戦いになってきました。 しかも地元横浜が追い上げる展開なのでボルテージは上がる一方。 対する広島も必死に振り切ろうと投手を替え防戦に務めます。  レフトスタンドを埋めた広島ファンの熱の入った応援も見物でした。
 もともとコンバットマーチとか 統制の取れた応援を編み出したのは広島の応援団だったと思います。 現在は3連符を多用して名前を連呼する 「スクワット応援」が延々と続くので外野の応援団は体力的に大変であろうと思いました。  津軽屋は横浜の応援していて良かったとこの時ほんとに思いました(^^;)ゞ  

 8回にタカノリがタイムリーで1点差。 さらに最終回 中根がショート強襲安打で出塁。  さあいよいよお膳立ては出来ました。 ここでホームランが出れば 少年スポ根マンガ並の逆転サヨナラなんですが・・・・
 

    まあそんなうまい話が世の中そうは転がっていない事を 大人は知っているのです。

       がしかし

      なんと谷繁が 打った3球目は
 
      レフトスタンドにーーーーーー
  
     逆転サヨナラ ホームラーーーーーン


    ほんまかーーーーーーーー



 その瞬間 炸裂するスタンド、 子供のように飛び跳ねながらベースを回る谷繁。 信じられない光景です。
 いやスゴイ試合でした。
 初めて行った 「聖地」横浜スタジアムですばらしい試合が見れて 本当に満足しました。  凄いぞベイスターズ! 



 
 谷繁のヒーローインタビューに大喜びのスタンド。 やったね谷繁。




♪ オウオウオウオオウオー 横浜ベイスターズ 夢を追いかけろー バンザーイ バンザーイ バンザーーーーーーーーイ

 勝負は何事も最後まであきらめては駄目だと教えられました。
 今夜は眠れそうにない。
 


2001/8/12  ほんとは8/11の夜 横浜スタジアム

車関係行事はひとまず置いておき、 横浜スタジアムに足を運びました。 実際には十数年ほど前 外から眺めたことはあったのですが 実際に足を運んだのは今回が始めてです。
入場券売り場がよくわからずウロウロ。 どうせなら良い席で見たいですからね。
 すったもんだで入場4時半。 焼きそば買って、ビール買って、気分はすっかり野球観戦モードです。


 私 津軽屋が 最初に見たプロ野球は 5.6歳のとき大阪球場でみた 南海-西鉄戦でした。  当時外国航路の機関長をしていた父が大阪港に入港したので 面会に行った時 野球でも見に行こうとなったんだと思います。
大阪球場だったので 1塁内野の中段から見た記憶があります。
 純真な当時の津軽屋は それだけでもう南海ファンになりました。  記憶をたどれば 野村、桜井、広瀬、ブレーザー辺りでしょうね。
試合は2対1で 南海の勝ち。
それ以来 少年は南海ファンとしての刷り込みに悩みぬくことになります。



今にも降り出しそうな天気が心配な中 午後6時試合開始。 
しかし 横浜のエース三浦の調子が上がらず 広島のワンサイドゲームの展開です。   せっかく横浜スタジアム最初の試合なのに なんて事をしてくれるんだと非常にがっかり。
 続く河原もこれまた見事な打たれっぷりで試合になりません。 残されたる道は雨天中止しかないと思いはじめたころようやく 横浜の反撃が始まりました。  
 

大量失点にもめげず 反撃を開始中の横浜。 ランナー ドスター。 広島のマウンドは長谷川。 まだ序盤なのでスタンドは空いてますがこの時点で外野と1塁側の内外野は満席。 最終的には9割近くまで御客さんが来ました。  この後凄いことが・・・




 


2001/8/11   1日目 富士周辺

 
 お盆休みを利用して 代理で関東の知り合いを訪問する事になり 週末から東京横浜など 首都圏、箱根を回ってきました。
行きは中央高速を通ってみましたが天候が悪く 肝心の中央アルプスが見えず残念。 中央道は 東名より走って面白いのですが 諏訪湖を過ぎたあたりから路面状態が悪くなりストレスがたまります。 上九一色を抜けて 山中湖の肋骨マニア白鳥ボートを見て まずは楽しみにしていた富士スピードウエイへ。
 津軽屋は是非 ここの 廃止になった30度バンクを見てみたかったのです。
日本の経済成長と共に モータリゼーションも産声を上げました。 本格的なサーキットとして日本で初めて開場された富士スピードウエイは 当時少年だった津軽屋にも印象深く残っています。
 生沢、 鮒子田 、福沢、 高橋、  第1回日本グランプリも 日本初のF1もここでした。 数々の名勝負が行われた所です。

入場料 JAF会員割引の1400円也を払って入場。 早速 現在の1コーナーからまだ奥にあるバンクに行ってみました。

現在は 廃墟同然ですが 人間だけなら出入りも自由です。 

ほぼバンク中央から ヘアピン方向を望む。  路面状態は思ったほどガタガタになってはいない。




 
実際にバンク上部に立ってみて解ったのですが  レイアウト的にメインストレートからは下りながら曲がる設定になっています。まさに巻き落とし状態で 突っ込んでいく感覚でしょうか。
 なるほど確かに 危なすぎます。  実際富士グラチャンなどで 悲惨な事故が多発しこのコーナーは使用されなくなったのです。
 黎明期の自動車レースを支えた 先輩達の冥福を祈り 黙礼してバンクを後にしました。  フェンスに薄桃色の昼顔が咲いていたのが印象的でした。 


 その後 ポルシェの走行会や カップのテスト走行が行われる中 コースのあちこちを見て回ります。
 現在の1コーナーは その後のF1開催時の事故もあってかなり改修されているようですが 今でもセーフティゾーンの奥行きが充分ではない様に思います。  コーナーの裏は谷になっていて のり面の土木改修が行われていました。 最終コーナーもブラインドで シケインからの立ち上がりとはいえ やっぱり危険でしょう。
 もしFIAがコース認定を出すににても この点だけは改修させるのではないでしょうか。
もともと富士スピードウエイは三菱地所所有であったのを 今年トヨタが将来のF1開催がらみで購入したはずです。、今後さらに施設は充実されていく事でしょう

その後 今度は近所のレーシングパレスへ。
ここも有名な所ですが たいれる6輪車を見てみたかったのです。  入り口のF−1戦闘機には驚きませんよ(^^)/
津軽屋の近所の航空公園にも 一機止まってますから。でもよく考えれば このF−1は個人所有なんでしょうからスゴイ事は
スゴイ話ですね。
 ここはF−1マシンの群が見もの。 有名な所は全部そろってました。 JPSカラーのロータスなんて当時の子供はみんなプラモ持っていた様な気がする。  


 

 写真は 意表をついてラルース/ランボルギーニ。  やっぱり日本人唯一のF−1表彰台男 鈴木亞久里のマシンですからね 日本チャチャチャ。 次は誰だ! 後方はレイトンハウス/マーチですか。 当時はスゴイ勢いでしたね全く、


2001/8/8  うどん 中西  実は8月7日なんですが。

 今日はうどんの「中西」にいきました。
 場所は 高松駅からだと 南に車で約20分。 旧道沿いですが田舎ではありません。

 この店は 昨今のうどんブーム以前から営業している 地元密着のセルフ形うどん店です。
 うどん大衆セルフ店の原点は 坂出にあった 俗称「とんがり」だと思うのですが、 御客さんが 自分で麺を湯がいて 食器も自分で返却する形は この店も古くからやってました。

午後11時ごろを狙って行ったのですが 駐車場はもう満杯状態で 店内も7-8分の入りで
繁盛しているようです。

 ここでは うどんを注文するのに 1玉、2玉とか 大、小、とは頼みません。
2玉がほしければ黒のどんぶりを持ち、3玉頼みたかったら 白のでかいどんぶりを持ったまま カウンタ前を進めば 店の人が黙ってうどん玉をどんぶりに入れてくれるシステムです。

1玉で良い人はどうするか?  多分一番小さなどんぶりで良いのだと思います。

そ の後 トッピングや副食類もチョイスして先払い。  その後麺を湯がく人は客席との境にあるボイル場で 作業の後席につきます。 天かすは無料です。
 自分はココの御稲荷さんが趣味に合います。 天ぷら類も種類が多く 中身の素材も大き目です。  


こちらは看板棟。実際の店は この背中側になります。  看板にペンキ塗っている人は何年も前から作業中なので この炎天下でも同情は無用です。 仕事はかなり遅いようですね。   安全もダメだな ヘルメット被れよ。 足場も不良。安全帯も付けていないのはけしからんですなあ。 はしごは作業足場じゃないよ。
  




 
 数ヶ月振りに 訪問したのですが 麺が固めになってきたようで驚きました。
料金は変わっていないようです。
 実際にはお昼時に駐車するのが問題でしょう。  路駐にも限界があり 近くに止めることも出来ません。
時間をずらして訪問するのが一番良いようですね。

 

2001/8/6  日曜日はマフラー交換日

  いや-3000クリックが近くなったので 自爆を恐れて日曜はHPを開くことが出来ませんでした。 日記に直接アプローチすることを算段していなかったのは ミスでしたね。

 車に関してですが ようやくマフラーに進展がありました。
以前がら 週末ごとにごそごそやっていましたが あまりに現状の排気管の程度が悪いため 小手先の修理をあきらめ 本職に御願いすることとなりました。

 結局 最初から細めの2本出しに決定し 材料も手配依頼してきましたので御盆空けには 新品の排気系に生まれ変わる予定です。
どんな音になるでしょうか楽しみです。


 別件ですが 御盆休みの期間中に 御盆関係の行事で関東地区遠征の話が緊急浮上中です。   完全にプライベートなのでそれ以外の時間もなんとでもなりそうですが 行くとなれば御盆帰省の国民大移動真っ只中で 大丈夫でしょうか?
 もっとも群集の流れとは方向が逆ですが・・。

行くとなれば 行きたい所は多数あり。

1. ハマスタ
2. ムゼオ アルファ   パシフィコ横浜って何処だ?
3. 富士スピードウエイ
4. 川口湖自動車博物館
5. ギャラリー アバルト
6. いつものコーナー

全部はスケジュール的にとても無理か・・・・
しかも今年は LCJの年次総会に出席の予定(恐らく11月末に大磯ロングビーチ)なので ダブっても仕方がないのです。

 飛行機はまず無理みたいだし  新幹線か車になりそうですが きついかなー。

 

2001/8/1  やってしまった
 
 皆様 ディーゼルエンジン車がガス欠するとどのような症状が出るかご存知ですか?
 私は知りませんでした。
 実際には ガス欠が近くなると(停止20Km手前)エンジンの始動性が悪くなります。 ちょうど寒い時期にグローが切れた症状と全く同じでしばらくセルを回してから バララン バララン とやっとエンジンに火が入る感じです。
 その後は普通に走れますが アイドリングでほんの少し息継ぎします(停止10km手前ぐらい)。
 しかし深刻な状況ではなく普通に加速しますし、エアコン全開でも問題ありません。  最初は燃料が少なくなったので燃料がパーコレーションを起こしているのかと感じる程度です。
 もっとも ヂーゼルエンジンの燃料がエンジンから燃料タンクにリーターンしてくるのか そもそもパーコレートするのかどうかは まったく知りませんが。

 そしてガス欠は突然やってきて もうウンともスンともバラランともいいません。 おしまいです。


 勿論 ガス欠したらどうなるだろうと試した筈もなく 現実には真昼に国道交差点のど真ん中で エンジンが停止したのです。


 嗚呼 言い訳をすれば 色々あるのですが、 実際判断を誤らせた最大の理由は ゴルフDの燃料計の表示が極めてシビアである事を自分が知らなかった事に間違いありません。   これまで国産車の表示ばかり二十数年見てきた津軽屋の常識からすると ゲージが最後の線にかかってもまだ数リットルの燃料はタンクに存在していて ほんとのガス欠にはまだ余裕があったりしました。
 しかし 津軽屋2号機のゲージは 最後のゼロの線に針が指しかかると本当に燃料はカラの様です。 当然といえば当然なのですが 給油直後の針は満タンの線の方の上にあって 給油後70−80km走行後から下がりはじめるので 感覚的には国産車と同じなのです。 これでは誰が乗っても カラの表示だけがリアルとは気が付かないのではないでしょうか?
(ギリギリまで乗る事自体が間違えてるのは解っていますよハイ)


 昨日帰るのが遅くなって給油してなかったとか 急に仕事が入っていつものSSとは逆の方向に走ったとか色々悪い条件が重なったのは事実ですが いつもならゲージが半分になると そろそろ入れるかと気になり始めるのになんでか今回は結果的に失敗しました。

 たぶん暑さで頭が呆け始めているのでしょう。
 あるいは ハードな○業○○が原因カモしれませんがね。

 で、真夏の炎天下を汗だくになってゴルフを押しまくる姿をご想像の方には申し分けないのですが ストップしたのが いつものSSに行く途中の松島の交差点の右折車線であることが最大のラッキーでした。
 目の前に貝印のガソリンスタンドがあるのです。
 そのまま 軽いゴルフの車体を 皆の視線を浴びながらも なんとか一人でハンドルを切りつつ 押すこと20m。 皆様にさほどの御迷惑をおかけしないで すんなり逃げ込む事が出来ました。 これってちょっと大成功の気分ですね。

 で貝印ディーゼルオイルを満タンにしました。 51.8L給油。
もっと入ると思いましたが・・・。
 給油後は何無く始動成功。 不整脈も出ません。
おそらく ゴルフには何らかの保護装置が付いていて、 最後の一滴まで使う前に燃料ポンプを止めているのではないでしょうか。 

 いずれにせよ ヲハズカシイ顛末でした。

ところが・・・・・

 今回の事で 津軽屋2号機は 事実上ほぼ全ての燃料が貝印になっったのですが、なぜかアイドリングが500rpmから1000rpmも高く1150rpmで回っているのです。 
 これまでほとんど いつも同じSSで給油していましたからこの現象は燃料が変わった以外 考えられないのです。

これって いったい・・・・。   ・・・・・・ってこと?  ですか?
 

 

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