2013/2/22
練習再開 |
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入試と後期期末テストの長いオフの後、やっと練習が再開した。21日はみんな寝不足だったろうが、晴れやかな表情でグランドに集合した。1日には高知県春野と静岡県菊川の2グループに分かれて春合宿を行い、その後オープン戦を消化して春の公式戦の突入する。部員総勢88名が春の優勝を目指して戦いを開始した。部内での競争を勝ち抜き、新顔が台頭し、技術的にも精神的にも逞しくなってまず春を戦って欲しい。
しかしこの2日間は大変寒い。プロ野球のキャンプを見ていると勘違いしてしまうのだが、この長期のオフ後の入れ込みは危険である。練習やりたい気持ちを抑えて、セーブしながら練習するが監督の役目である。「肩肘とハムストリング」これを故障させないで春を乗り切らなければならない。ちょっと油断すると投げられなくなり、もも裏に肉離れを起こす。今年はウオーミングアップのランニング量を倍増して工夫を凝らした。キャッチボールが終わって「もうグッテリ」という練習がどのくらい効果があるか大変楽しみである。 |
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2013/2/18
峯田部長 |
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17年もの長い間、部長・副部長で野球部を支えて下さった峯田諭一先生がこの3月で定年退職される。そこで昨日は当時のコーチ(僕も中等部の教員をやりながらコーチをやっていた)が中心になって峯田先生を慰労した。先生の体の具合を心配して峯田先生の地元、赤羽で行った粋な会だった。僕が中等部から塾高に転勤して、監督になった時は久保宗太郎部長と峯田副部長。その後久保先生が退職されて、峯田部長と柴田副部長(現志木高監督)。本当に私のワガママを聞いてくださった。峯田部長は春に関東大会ベスト8、夏はあと一歩の準優勝。秋もあと一歩の関東大会敗退。残念ながら甲子園に連れて行ってさし上げる事は出来なかったが、推薦入試もなかった頃だからお許し頂きたい。厳格な姿勢をいつも崩さない峯田部長はいい加減な僕とよく比較していただいた。『上田みたいなテキトーな監督には峯田先生みたいな人が必要だな』とよく言われた。今の七條部長との関係でもよく言われる。いつも周りの方々に支えられている事をもう一度考えなくてては。『峯田先生。また甲子園にお連れします。いつまでもお元気でいてください。 |
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2013/2/17
研修 |
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大学野球部の後輩ではあるが、僕の野球における師匠・堀井哲也監督が指揮をとるJR東日本野球部の柏グランドにお邪魔して、練習見学をさせていただいた。まあ昨年の都市対抗と日本選手権ともに準優勝だったために選手は『今年こそ』 という意気込みが感じられた。まあアップから手を抜かないのはすごい練習に対する姿勢で、見ていて大いに刺激を受けた。 社会人野球の練習は色々なチームを何度も見させてもらっている。しかし堀井監督のチームはちょっと違う。やらされているところもなく、気合い十分なのはどこも一緒だ。しかしJR東日本の選手はいつももうひとつ先のレベルを追い求めているような気がする。毎年何人もドラフトされプロ球界に選手を送り込んでいる。『俺もそのレベルに到達したい』と全員が思っているのだろう。そんなチームを作っている堀井監督にただただ敬意を表したい。 数年前、今ジャイアンツで活躍している寺内選手に3遊間よりのゴロの捕り方を聞いたら、昼休みを潰して説明してくれた。どの選手も野球が好きで、親切で礼儀正しい。僕はこのチームのファンである。 JR東日本ばかり誉めているが、もちろん教え子が多くの社会人野球で頑張っている。東芝の漆畑、JFEの中林、エネオスの山口、山崎、明治安田生命の竹内、日本製紙石巻の伊場、日本生命の阿加多、福冨とどのチームも目がはなせない。皆の健闘を祈りたい!
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2013/2/5
独り立ち |
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歌舞伎の市川團十郎さんが死去された。先日は中村勘三郎さんが亡くなり、歌舞伎界の重鎮が相次いで他界された。心からご冥福をお祈りしたい。しかしマスコミの扱いには腹がたつ。日本の伝統芸能に対して日ごろから理解を示し、日本のメデイアとして「そのような歴史ある文化を一般の人に広め伝えよう。」なんていう気が普段はさらさらないくせに。亡くなった時だけその足跡をたどり、さも「我々は大いに関心を持っていました」なんていう薄っぺらい態度が本当に気に入らない。暴力事件や結婚の時だけさも歌舞伎界に関係のあるようにシャシャリでてくる。普段はギャラの安いお笑いタレントばかり使ってポリシーのない番組作りに励んでいるくせに。
話は全く変わるが、AKB48になんチャラかんチャラというメンバーに恋愛が発覚したために研究生に格下げになり、坊主頭で謝罪したというニュースがあった。(こんなニュースを知っている事が情けないけど)あの秋元康というAKBをプロデュースしている男は昔から好かない。自分も昔「おニャンコ」のプロデュ―スをしていた時はメンバーと付き合って結婚した奴だ。最近AKBと高校野球が被る。あの年代の女の子たちは学芸会踊りをやらされても、水着で写真をバンバン撮られても、異常なスケジュールの中で酷使されても、スターという華やかな舞台に立つことに憧れを持って挑んでいるのだろう。しかし次から次へとメンバーが補充され、交代され、飽きたら捨てられる。まるで「スターにしてやるから何でも我慢するんだぜ」と上から押さえつけて納得させている。その個人は全く個性があるわけでもなく、芸もなく、卒業という名のもとに外に出ていって消えていく。本人はAKBで人気があったから独立しても何とかなると思っているのかもしれないが、世の中そうはいかない。その点はジャニーズとは全く違うのだろう。
高校野球も「甲子園に行くために何でも我慢するんだ」という所で指導者は異常な世界を押しつけている。僕もその人間の一人かもしれない。しかし一番大事な事は選手個人の独り立ちである。その独り立ち(野球でも、人生でも)の為にサポートしていると言う事を再確認しなければならない。今日は芸能ネタでした。
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2013/2/3
お別れ(4) |
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惜別のブログの最後は斎藤拓磨打撃コーチ。まだ3年ですが、司法試験にチャレンジするためにコーチ業を上がりました。現役時代は3年春にブレイク。ガッツに溢れ、長打力もある魅力的 な選手だったので、『大学でやったら』と勧めたが、塾高を手伝ってくれた。熱い指導は現役時代と同じ。多くの選手が影響を受けた。研究熱心は普久原コーチと同じで、目に見えない所で打撃力を上げてくれた。悪に立ち向かう熱血弁護士に必ずやなってくれるだろう。
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2013/2/1
お別れ(3) |
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3回目は打撃コーチをやってくれた普久原祐輔君。夏の甲子園出場を決めた東海大相模との決勝の9回2点ビハインドの場面で代打で登場。そのヒットから同点に追い付いた。代打の切り札であった。巨体を揺すってパワフルな打撃が持ち味だったが、よく周りを見て気を使う気配りの紳士である。卒業後アメリカンフットボール部に入ったが、持病の膝が悪くなって退部。塾高のコーチをお願いした。自宅の大和 からいつも選手の自主練習に早朝からグランドに立った。温情と熱血のコーチだった。いつの間にか『あいつ急に打てるようになったなあ』と思う選手をこっそり輩出してくれた。大学を出て大きなメーカーで頑張るが、その愛される風貌とともに、切れる頭脳と人柄で活躍してくれるだろう。 |
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